大親友キク(菊盛和博)について

草島歩です。かなり私的ですが,直感的に残さなければいけない気がして残しています。

数年前,フルルKanaⅰというサイトで日記を書かせてもらっていました。その中に登場するのが,私の大好きな大親友菊盛和博です。
ランボルギーニカウンタックVS放浪貧乏
ランボルギーニカウンタックVS放浪貧乏vol2

日記に書いてある通り8年以上バックパック1つで世界中を放浪し続けていたキクは去年平成23年8月,屋久島で死にました。この島は放浪者キクが,最期に北海道の利尻島から鹿児島のこの島まで旅し,自分のルーツがこのくにであることを確認し,終の棲家と定め自給自足の生活を始めた場所です。

キクのことを考えていたところ,屋久島でのキクの葬儀やその後の仲間の映像を発見しました。
キク(菊盛和博)とのお別れ 屋久島にて 2011年8月
みんながキクを愛していることが伝わります
私もものすごく愛しています。

死んだことを知ってから,キクが書いた文を発見しました。
虹の架け橋をわたって by.キク

こんな文です。

いきなり長文のメッセージで申し訳ございませんが、
ネット上での最初のあいさつとして受け取って下されば幸いです。

冬の山水人(やまうと)村、朽木 生杉というところに来ています。 琵琶湖の水源ともなる日本で最も低い標高の地に植生するブナの原生林を背後にひかえた滋賀の最も山深い山中にある集落です。9月には音楽イベントを中心としたお祭りが開催され、のべ1000人ちかくの人が訪れ賑わいます。

雪降るも、霧たちこめるも、冬の沈黙が奏でる音となってわたしの心にしみいります。この冬の静けさは夏の宴、祭りのエピローグなのかプロローグなのか、そう思って母屋の縁側から外を眺めれば、白い雪景色のスクリーンに、踊る彼女や歌う彼らの幻影がぼんやりと無声映画のように映し出されるのです。

歓びに満ちて歌い踊る人々が愛しくて目を閉じれば、彼女や彼らは虹色のシャボン玉のようなバルーンに包まれて、天空へと上昇し消え行くのです。そのうちに次々と昇っていくバルーンの中に、わたしが8年の旅ので出会ってきた世界中の人々や風景があるのを見つけます。

チベットのカイラス山のふもとを馬で疾走する遊牧民の男や、ネパールヒマラヤの山中で神の名を唱えチュラム(パイプ)を吸うサドゥ(聖者)、夢見心地で踊るバリの幼い踊り子、オーストラリアの赤い大地とカンガルー、真っ赤な朝日を受けて母なるガンジス川で沐浴する人々、アマゾンのジャングルでギターを奏で歌うシャーマン、タイのビーチでひたすら遊ぶレインボーファミリー。

次々と浮かんでは天空へと消えていくバルーンを追ううちに、わたしは天空へと立ち上る虹の架け橋を見つけ、おそるおそるその上を歩き出します。

やがて地上を遠くはなれ、わたしは四方八方に浮かぶ虹色のバルーンとともに天空にいます。そして、バルーンの中の光景は8年の旅の記憶の断片に限っているのではないと気づくわたし。中にはわたしが見たこともない人や風景もあれば、幼いころの家で兄妹と戯れる自分だったりする。バルーンの中の光景はどれもキラキラと輝いている。あんなに悲しい思いで見つめた死体となった母の姿も、わたしのことを罵り傷つけた人の姿も、みんなキラキラと輝いている。

涙が溢れ出る。とめどなく泉のように。あふれ出た涙も虹色の玉となって浮遊していく。

涙の玉の中には 「ごめんなさい」と「ありがとう」。

わたしは無限のアーチのような虹色の架け橋をさらに歩んでいきます。もうおそれはありません。
そして、空をつきぬけ宇宙のような虚空の中、わたしはひとり。もうバルーンも涙もありません。

わたしはひとり。わたしはひとり安らいでいます。

「えっ!?」

わたしはいません。

わたしはいないのです。

「ドサッ」と母屋の屋根の雪が落ちました。
目を開ければ、ほとんどモノトーンの霧のたちこめる雪をかぶった森が静けさの中にありました。

わたしは縁側にひとりすわって今年の5月に帰国してからの日本の旅をふりかえり、思いをめぐらせました。

北は北海道釧路の先、利尻島から、南は鹿児島の先、屋久島まで。文字通りの日本縦断の旅でした。山、川、海の自然がバランスよくおさまっていて精霊たちが語りかけてくるような場面にわたしは何度も魅せられました。

「このくには なんて うつくしいのだろう」

長い間、海外をふらついていたわたしは新鮮な感動をもって何度となく感嘆の息とともにこの言葉をはいたのでした。また、こころの奥でじんわりとした懐かしさを感じ、自分のルーツがやはりこのくににあることを知りました。

アメリカ大陸の旅を通して印象的にわたしの心に強くのこったのは、先住民の目でした。彼らの瞳は揺らぐことなく、じっと大切なものを見すえていました。彼らは魂の部分で自分たちのルーツが、彼らが暮らすその地にあることとその意味を深く理解していて、安心と自信をもち、地に足をつけて生きていました。

放浪者だったわたしは、そんな彼らに強い憧れを抱きました。彼らが見ている大切なものとはなんなのでしょうか。それは「生命の本質」なのでしょうか。わたしもそれを見たい、それを理解して生きていきたいと思ったのでした。

そんな思いを抱いて帰国しはじめた日本の旅でルーツを感じられたことは大きな収穫でした。また、この旅は海外で出会った大切な友人たちとの再会も含め、すばらしい出会いの連続でした。それはずっと以前から用意されていた贈り物のようで、すっとわたしの心に渡されました。わたしはそれぞれの人と手をつなぎこころをつないだのでした。

いま、わたしはつながれた手、心は「根っこ」なのだと実感します。この縁側の前にひろがる森の雪の下、地中世界にひろがる根は、表層に見える森の植物たちの礎でしょう。

わたしはこのくにに自分の「ルーツ」があることを知り、さらなる「ルーツ=根」を張りはじめたのです。

年が明けたら、屋久島で小さな庵をもって暮らし始めるつもりです。
バックパックひとつのヤドカリのような8年間に区切りをつけて、自分の巣を持つ生活は新たな挑戦と発見、そして学びの日々になるだろうとわくわくしています。

わたしが地球のどこかでつないできた「こころの根」と、これからこのくにで育んでいく「こころの根」がつながり強い礎となって私が経験する現象世界に美と調和をうみだすこと、それを多くの人々、できうるならばすべての存在と共有できることを祈っています。

最後に昨年12月23日亡くなった日本のオルタナティブ、カウンターカルチャーの先駆者であった敬愛する ナナオ サカキ の詩をクリスマスプレゼントとして贈らせてください。

『 ラブレター 』

半径 1mの円があれば
人は 座り 祈り 歌うよ

半径 10mの小屋があれば
雨のどか 夢まどか

半径 100mの平地があれば
人は 稲を植え 山羊を飼うよ

半径 1kmの谷があれば
薪と 水と 山菜と 紅天狗茸

半径 100km
みすず刈る 信濃の国に 人住むとかや

半径 1000km
夏には歩く サンゴの海
冬は 流氷のオホーツク

半径 1万km
地球のどこかを 歩いているよ

半径 10万km
流星の海を 泳いでいるよ

半径 100万km
菜の花や 月は東に 日は西に

半径 100億km
太陽系マンダラを 昨日のように通りすぎ

半径 1万光年
銀河系宇宙は 春の花 いまさかりなり

半径 100万光年
アンドロメダ星雲は 桜吹雪に溶けてゆく

半径 100億光年
時間と 空間と すべての思い 燃えつきるところ

そこで また

人は 座り 祈り 歌うよ

人は 座り 祈り 歌うよ

合掌

転載終わり

キクの優しさがにじみ出ています。
平和な世界を,競争のない,共存共栄の社会を望みます。

富山での告別式で私が述べた弔辞

キク,全てを愛し,全てから愛された・キク,おれのもっとも愛し尊敬する男・キク,光になってしまったキク
もう,私たちの知っている肉体の形で出会えないのですね。あまりにも呆気ない突然の出来事に,夢としか思えず,最初は全く対応することができませんでした。
お前との出会いは,中部高校1年4月,食堂でした。血気盛んで,やんちゃな2人のファーストコンタクトは,自己紹介すらお互いけんか腰で,今思うとバカらしくて爆笑してしまいます。
その後は,すぐに仲良くなり,お前は,おれの人生において,掛け替えのない存在となりました。
高校時代,私が圧倒されたのは,3年の体育大会です。おれは,青龍団の応援団長,お前は朱雀団の応援団長でしたが,お前は我々とは全く次元の異なる芸術的な応援合戦の演目を披露しました。それも,自分は総合監督で出てこない。その既存の事にこだわらないアイデアと創造力,感服しました。しかし,今考えても,あのお年頃の男子たちに黒色のストッキングを履かせ真面目な顔で虫ダンスを踊らせたこと,今考えても不思議です。
大学時代は,全国を自転車で一周してましたね。もう,そのころにはキクが何をすると言おうが全く驚かなくなりました。京都に来た時には,シコタマ酒を飲み,その勢いで,鴨川にキク達が飛び込み,おれは鴨川にキクのこの旅行の思い出が詰まったカメラの入ったバッグを鴨川に投げ込み,これは真実ですが,偶然,キクの頭上に飛んでくれて,キクが偶然キャッチして事なきを得ましたね。あの時はごめんなさい。ちなみにあの頃の鴨川は滅茶汚かったですよ。
お前に変化があったのは,どうだろう,20代中頃かな?少し,自分自身の内部の調整に疲れ,暗中模索をしている印象があります。99年に俺に会いに来てくれたときに最後にくれた手紙をもう一度見ましたが,そこには,風邪をひいた自分を温かく迎えてくれたことへの感謝の気持ちや,多くを言葉として表現しなくなった自分の今の感情,私との共通点である「自由」への情熱が綴られていました。今思うと,このころの我々の「自由」であることへの情熱は,既存の社会に対する抵抗という側面に過ぎなかったのではないかと気づきました。
お前は,次に,世界中を旅する旅人になりました。オーストラリア,インドネシア,東ティモール,マレーシア,シンガポール,タイ,ラオス,チベット,ネパール,インド等等。この国々を選択したお前は,すごいと思います。2004年にメールをくれましたね。その時,私は弁護士になって3年目くらいでした。そのメールの中には,また違うキクがいて,感受性と繊細さ,深い愛を文章から強く感じ,素晴らしいなキク!と思うと同時に,自分自身の物質文明との接し方等を再考するきっかけをくれました。
お前は,この旅を通じ,自分の内面を探求し自問自答を繰り返していたのだと思います。
そのメールによると、現在チベットの都ラサというところにいること、この半年の間にタイ縦断、ラオス縦断、チベット横断をし、その移動距離は1万キロを越えているとのことでしたね。
チベット自治区での公安当局の目を盗みながら移動する苦労、掴まえたトラックやバスも道がひどいダートトラックであるためパンクやエンジントラブルに見舞われて大変やったこと,高山の花々の生命感、美しい雪山に囲まれた湖面と太陽光とのコラボレーション、樹齢の古い森林のエネルギー, 曼荼羅をはじめとする宗教画の緻密さ、人間の遺体をハゲワシに与えるという「天葬」についての強いショックとそれらに対する自分の考え,4500メートル以上の高地にある大平原の地平線から昇る不思議な月、海抜6000メートルのヒンズー教最高の聖山カイラスの荘厳さなどが、書かれていました。
私の頭の中に、その美しさ、雄大さ、神々しさが浮かびましたが、これも、日本にいる私の想像の範囲内の光景で、実際、大親友の前に映っている光景は、どんなにすばらしいのだろうかと思わずにはいられませんでした。
文章にも落ち着きがあり、感動を一生懸命伝えつつ、誠実に自分自身を語っておりました。昔、一緒にやんちゃをしまくっていた大親友が非常に大きく見えた,そんな瞬間でした。
その後も,お前は,立山の大日岳近くの山小屋で働いていたね。あなたの作った大日如来は,今,様々な登山家が山頂で手を合せていますよ。
お前は,とうとう,旅人を終え,終の棲家として屋久島を選びましたね。その場所で,お前は「キクちゃん」として,自然や様々な人たちに助けられ,愛され,お前が自然や様々な人たちを助け,愛したことを,屋久島に住む人たちの様々なブログで見つけました。
その中で,お前が「俺は元気で気持ちのいいところにいったから,大丈夫だよ。全然大丈夫だからね!みんな元気になって~」といったそうやね。おれはこの言葉を信じています。また,お前の一部が,お前の一番好きだった場所に撒かれたと聞いています。本当に良かったね。
お前は,個性的かつ魅力的でした。 他を包み込むおおらかさ,やさしさが,体全体から出ていました。
最後に,お前は,現世での役割を終えただけです。お前の素晴らしい魂は永遠です。
お前は,真実の「自由」を見つけたのでしょう。
是非,宇宙のため,地球のため,そして,お前が愛した家族,友人のため,暖かく見守ってください。
これからも,ずっと,お前のことが大好きやからな。

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